複数のクラスタを自分の中に共存させる

 

 複数のクラスタを自分の中に共存させるというのは意味人生の命題なのではないかと思う。クラスタとは、ある同じ思考、属性などを持った人たちの集まりを指す。

 例えば僕だったら、でんぱ組が好きだからでんぱ組クラスタ。J‐Popもすきだから広く言えばそういうことだ。同時に株クラでもあり、経理の仕事をしているので経理クラスタでもる。そして読書も好きなので読書クラスタ。英語も最近やってないけど好きなので入れるし、毎日豆からコーヒーを淹れているオタクなのでそれもそうだ。最近はお笑いも興味があって漫才を熱心に見るようになったし、お笑いクラスタとでもいっておこうか。まぁこんな具合でいろんなクラスタに属していることになる。

 人間性や価値観というのは、どのクラスタにどの程度依存しているかという点で決まる。つまり、幅広いクラスタへ所属することは、それだけウィットに富んだ、バランスのとれた人間性を持ち合わせることになると考えて差し支えないだろう。

 齋藤孝先生の読書力の中で、日本人は欧米と違って、聖書がなかったから大量の本を読んできた歴史があるという話をしていた。欧米では1冊の聖書がなにより絶対的な基準であり、倫理観である。一方、日本では特定の価値基準がないためにたくさんの本を読むことで、様々な考え方を取り入れ、各々の軸を作ってきた歴史があると。それが日本を倫理観の高い国にさせたのだという意見だった。

 また、今話題の科学者、落合洋一どんも、1つのことにコミットする危うさを説いている。このAI時代において多くの職がなくなることが予想されている。現在は人類史上もっとも変化の大きな時を生きていることになる。そういった時代に、複数のスキルがあればリスクヘッジになるよって話をしていた。

 1つの価値観に頼り切ってしまう危うさがよくわかる。つまり人生の命題はいかにはやく自分でオリジナルの聖書を作りあげ、興味のアンテナをどんどん増やしていくかという作業なのである。自分が楽しく生きられる環境を作ることにつながるのだ。

 という風に書くと難しいけど実はめちゃくちゃ単純で、楽しいことや自分が価値があると思ったことにに全力投球すればいいのである。そして全力投球しているうちは苦しいけど楽しい。そういう人生が一番ハッピーだったりするのだ。楽しいだけじゃ張り合いがないからね。そんな気がする