秀吉の気配り、書状見つかる…直江兼続が「人たらし」ぶり生々しく

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 豊臣秀吉(1537~98年)が、居城とした伏見城(現在の京都市伏見区)築城の工事現場に自ら赴き、現場の労働者一人一人に声をかけた様子を記した書状が発見された。専門家は「秀吉の気さくな面と人使いのうまさを具体的に伝える史料だ」と注目している。

 書状は、戦国武将上杉景勝の家臣で、伏見城普請に派遣されていた直江兼続(かねつぐ)が、京に向かう途上の景勝の随行者とみられる人物に宛てたもの。米沢藩主時代の上杉氏の別荘だった山形県南陽市の旅館「御殿守(ごてんもり)」が古書店から購入して所蔵しているのを、東京大史料編纂(へんさん)所と新潟県立歴史博物館などの共同調査で確認した。

 文禄3年(1594年)の4月2日付で書かれ、兼続の花押がある。兼続は築城現場の様子を報告するとともに、「昨日も大(太)閤様御覧なされ候(そうろう)、普請衆何(いずれ)ニも、御言葉を被下(くだされ)候」(昨日も秀吉様が工事をご覧になりました。工事をしている者たちに直接言葉をかけて下さいました)と、身分制の厳しい時代に、現場の士気を高めるための気配りを見せた様子を記している。

 調査した同編纂所の村井祐樹准教授によると、秀吉が工事の様子を検分したことは知られていたが、具体的な様子がわかる史料は珍しく、「人たらしと言われた秀吉の姿を生々しく伝えて貴重だ」と話している。